日本人が靴を大切にする心を、これからもずっとサポートさせていただきたいと願っています。

創業者・初代店主 栗原準之助が、靴クリームの製造・販売を自社で行う「八千代商会」を創業したのは大正12年(1923年)、今から85年前のことでした。
以来、八千代化学塗料株式会社を経て株式会社ジュエルへ、そして現代表取締役・4代目店主栗原義治に至る今日まで、その時代時代の変化に対応しながら、靴クリーム一筋にその歴史と伝統を築き上げてきたジュエルの足跡です。

初代店主・栗原準之助
■大正12年10月 創業者・初代店主 栗原準之助が本郷区追分において、八千代商会として靴クリームの製造・販売を開始
■昭和2年 湯島宮本町に店舗を移し、工場を中谷町に建設
■昭和4年2月 池袋へ移転。店舗・工場を同敷地内に統合

初代店主写真ジュエルの創業者・初代店主栗原準之助は明治時代の海軍の軍人で、日露戦争に従軍し、日本海海戦では駆逐艦に乗っていました。準之助が日本人としては比較的早く洋靴(革靴)に接しその手入れ法を身につけたのは、海軍にいたという事情によるものです。
戦争が終わり除隊した準之助は、「これから平和になると、日本の庶民の間でも西洋の文明が大いに振興して、誰もが洋靴を履くような時代になる。洋靴は高価だから誰もが手入れをして大切に履く。そんな時代が来れば国産の手入れクリームが欠かせないはずだ」と考え、この事業に第二の人生を賭ける決意をしたそうです。
準之助が商売のために修行を始めたのが大正6年(1917年)、製造・販売を自社で行う「八千代商会」として独立・創業したのが大正12年(1923年)のことでした。真面目で頑固な人柄であったらしく、周囲には「愛想がないので商売には向かない」と言う人もあったそうですが、実際に商売を始めてみると、誠実な商い振りでお客様から信用され、ずいぶん繁盛したと伝えられています。

舶来品を目標にした時代
■昭和8年2月 栗原 薫が2代目店主となる
■昭和22年6月 資本金18万円の株式会社組織に改め、八千代化学塗料工業株式会社となる
■昭和23年10月 資本金を100万円に増資
■昭和28年5月 資本金を350万円に増資
■昭和30年8月 乳化性クリームと油性ワックスの長所を化学的に結合することに成功
■昭和31年6月 資本金を800万円に増資
■昭和38年2月 株式会社ジュエルに社名変更
■昭和40年2月 他社に先駆けて、塗るだけで乾けば光る液体クリームの製造を開始
■昭和42年10月 資本金を1,600万円に増資
■昭和53年6月 資本金を3,200万円に増資

2代店主写真2代目店主・栗原薫が社業を引き継いだ時代、当社は小粒ながら堅調な経営を続けていましたが、東京に拠点があったため、先の大戦の空襲で社屋も設備も原材料も、すべて焼失してしまいました。
しかし、事業にとって最も大切な製造技術は社員とともに生き残り、戦後日本の復興と歩調を合わせ、当社も復活することができました。

【舶来品を目標にした時代】
最初の靴クリームの処方はドイツ人から譲り受けたと伝えられていますが、残念ながらオリジナルは現存せず、どのようなものであったのかは今では分からなくなっています。
当初、靴クリームの製造にはかなりの苦労があり、原料の選定や調達、実際の製造手順に関して多くの試行錯誤の結果、国産の靴クリームが誕生しました。しかし、欧州では当たり前に手に入る原料も、当時の日本には存在すらしないということが多々あり、欧州から輸入されるクリームと品質で肩を並べることはできなかっただろうと容易に想像できます。したがって1923年の創業から半世紀以上にわたり、当社の技術陣の目標は「欧州のクリームに負けないものを造る」ことにありました。

昭和初期の写真

昭和初期の写真その目標を達成するのは、今から30年ほど前のことになります。日本の乳化剤の技術が飛躍的に進歩したおかげで原料の選定が自由にできるようになり、処方を組みやすくなったことが一番の要因でした。現在と違い、当時は舶来品の輸送技術が発達しておらず、この時点で、長時間船に揺られ赤道を越え、温度差の激しい環境にさらされる輸入品よりも、安定した品質の国産品ができるようになったと言えます。
靴クリームに要求される品質において重要なのは、人体への安全性や環境への影響など基本的なものを除くと、純粋に製品として必要とされる機能は「ツヤ」「伸び」「色」であると、当時私たちは考えていました。それらの機能面において舶来品に追いついたことをもって、私たちは一つの目標に到達したと考えたのです。

日本の気候にあった製品を目指して
■昭和60年9月 栗原 勲が3代目店主となる
■平成4年1月 八千代商事株式会社より営業譲渡を受け、靴関連商品の専門商社としての機能を強化
■平成4年11月 株式会社 品川油化研究所より「ヴィオラ靴クリーム」の製造および販売を継承

3代店主写真しかしある出来事が、その後の私たちの製品設計に大きな変化を要求しました。
ある日、私どもに寄せられたお客様からの一件の苦情……それは「黒い靴クリームを塗って雨の日に出かけたら、ズボンの裾が真っ黒に汚れてしまった」という内容のものでした。
靴クリームは、本来は混ざることのない「水」「油」「蝋」を混ぜて(乳化して)作ります。単に混ぜただけでは後で分離してしまいますから、安定したクリームの状態を保つために「乳化剤」の力を借りることになります。乳化剤の助けがあって初めて滑らかなクリームができるわけですが、この乳化剤は、お手入れが終わり余分な水分が蒸発した後、革の表面に残ってしまいます。
そのため、乳化剤の量を多くするとクリームは安定しますが、乾いた後に水が近づくとその水を呼び込んでしまうことになります。つまり、水をはじく蝋でツヤを出す靴クリームなのに、塗った後、むしろ水に弱くなってしまうという皮肉な現象が起きてしまうのです。乳化剤を減らせばクリームの耐水性は上がりますが、クリームは分離しやすく不安定になります。私たちの新しい処方の探求がここから始まりました。

【品川油化よりの継承】
靴の本場である欧州に比べてはるかに高温多湿な日本の気候は、革にとって時として苛酷です。高級レザーに必要な栄養分(油分、水分、染料)を適切に補給し、美しい革の風合いとツヤを保って、更に雨からも保護する……そんな理想の処方を求めて、私たちは研究を続けました。
そうしたなか、ジュエルにとって大きな出来事がありました。
それは品川油化研究所の商標「VIOLA(ヴィオラ)」とその処方の継承です。品川油化研究所は戦後創業の新進メーカーでしたが、創業時から品質に定評があり、その技術力の高さは業界では伝説的な存在でした。縁あって、その事業の後継者としてジュエルが選ばれたことは大変名誉なことでした。しかも受け継いだ品川油化研究所のレシピの中には、目を見張るような斬新な発想が大量に注ぎ込まれていました。

【商社的機能の強化】
またこの時期、当社の代理店であった八千代商事株式会社より、営業権の譲渡を受けるという出来事がありました。お客様の多様なニーズに対応するために、ジュエルにはメーカーとしてだけでなく、幾多の関連商品を適切に選定して店頭にお届けする商社的機能の強化が求められたためです。
この後、ジュエルのお客様への売り場提案力が上がり、高品質の製品を製造する「メーカー」と、売り場に最適な商品を提案する「商社」としての二つの姿を持つ企業に成長しました。
またこの時期、本社機能と製造能力を強化するために新本社工場に着工しました。

伝統の継承、そして更なる進化と発展
■平成5年6月 栗原義治(現・代表取締役)が4代目店主となる
■平成5年8月 池袋の新本社工場 竣工、稼働開始
■平成6年春 「ヴィオラ」シリーズ発売開始
■平成10年5月 株式会社ステラより「足もとおしゃれプラン」商品群の販売権を継承
■平成17年6月 埼玉県入間郡三芳町に物流センター設置
■平成21年4月 より合理的なサービスを目指し、物流を業務委託

【課題への一つの答え】
私たちは、品川油化から引き継いだ知見とジュエル70年の蓄積を融合し発展させることで「日本の気候に合った製品」という課題に一つの答えを見つけました。そして製品ラインアップを刷新し、独自の処方による「ヴィオラ」シリーズを発売いたしました。
【多様なお客様のニーズへの対応】
そして一方で、日常多く履かれる通勤靴などの手入れにも私たちは着目しました。高級レザーとはまったく異なる仕上げが施される日常の靴は、その性格に合ったケア方法があるはずです。
私たちは様々な靴に使われる革素材を研究し、それぞれに適したケア方法を提案することにしました。
【設備の拡充】
また平成5年には、より充実した本社機能と製造設備を備えた新しい本社工場が稼動開始。
平成17年には、増加するお客様からの注文に迅速かつ正確に対応するため、埼玉県の三芳町に物流センターを開設しました。

時代とともに日本の靴に関わる文化は大きく変化・多様化しました。ジュエルの社業もその時代時代の変化に対応し、研究と研鑽を積みながら現在に至っています。

初代・準之助が創業して85年。ジュエルはこれからもずっと、日本で靴を大切にする心をサポートさせていただきたいと願っております。